旅さんの3万円産地還元運動
(旅さんのイチオシ劇場)



まずは、序文を読んでくださいね。
文章は口語体(関西弁)で書かれています。


旅から旅です。

 僕が鹿児島にはじめて行ったんが、4年前の6月でした。
僕は飛行機が嫌いというか、乗りたくない人間やさかい、
実に鹿児島までの道のりは、値打ちのあるもんでした。
新幹線「のぞみ」で京都から博多まで2時間半、博多から西鹿児島まで
「つばめ」で四時間弱、降りたときには、ほんま、身体はぼぅーっとしてました。

鹿児島で、いろいろなお話しを聞かせてもろたり、生産現場を見せてもろたりしました。
僕が抱いていた大島紬に対するイメージと現実とのギャップは、
そらもう、びっくりするほどのもんでした。
大島紬の産地は、うるおうているもんやとばっかり思っていました。
なんでや言うたら、やれ、「招待旅行付き販売会」やとか、そういうお金のかかった展示会を催してたさかい、これはてっきり、がばがば産地は儲かってるんや、どっちか言うたら、大島紬の産地に反感すら抱いていましたんや、僕は。
ところが、見ると聞くは大違い、産地は青息吐息の「へぇーはぁーへぇーはぁー」状態やったんです。
特に、職人さんの賃金がむちゃくちゃなことになっていましたんや。
具体的な数字は言いたーないけど、もう、目も当てられん、この賃金やったら、僕やったら、飢え死にしそうな、そんな賃金やったんです。
これでは、ワザを伝承するひとも、いてへんのと違うかと思ったら、
案の定、若い職人さんは皆無に近いとのことでした。
40代の職人さんというのは、ほとんど、いてはらへんそうです。
そら、そやわな、この賃金では、将来設計とか、明るい未来とか、
そういう楽観的な気持ちにはなれへんもん。
僕かて、堪忍してほしいわ。

そうこうして、僕は、「大島紬プロジェクト」を展開することになったんですけど、そのときに、僕は織り元にこう申し入れたんです。
「僕が大島を一反売るごとに三万円差し上げますので、それをどうぞ、
職人さんにあげてください。同じ職人として、気の毒でしようがないのです。それに、こういう風に考えてる人間がいるっちゅうのが分かったら、職人さんもうれしいのんと、違いますやろか。ひょっとしたら、若いひとも職人さんになってくれはるかも知れまへんやろ?」
そう言うたら、「変なやっちゃなぁ」て、織り元の顔に書いたった。(笑)
そやけど、その織り元も変人やったんやと思います。
僕の申し入れを承諾してくれましたもん。
それで、実際には、生産現場を取り仕切る座(ざ)っていうのでしょうか、
その座長さんの口座に振り込むことになりましたんや。
そして、そのお金を職人さんに適当に按分してくれることになりました。
「大島紬プロジェクト」の「はじめに」のなかに書いたーる「職人さんへの還元」ちゅうのは、このことやったんです。
そやから、僕の使命は大島紬を一反でも、ようけ(たくさん)売ることなんですわ。
一反売るごとに、三万円(ほんまは、29990円、送る方も送られるほうも貧乏でっさかいに)鹿児島に還元できるさかいに、一反売るごとに、大島紬が再生していく道筋が着実にできていく、僕はそう信じて、この一年間、プロジェクトを続けてきましたんや。
おかげさんで、びっくりするほどのお金は還元でけへんけど、
そやけど、ちょっとずつでも、大島紬が再び、飛翔くときが来る事を
信じて、これからも、この運動を続けて行こうと、堅く、心に決めています。
これを、このページの序文ということにさせてもらいます。

ほな、おおきに。(旅)


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